逆転のエース

自分の人生を使って使って使い潰す、そんなコンセプトで綴られるナーバスブログ。架空タレント西師千尋くんの活動報告もします。

離婚の話②離婚の経緯(結婚~出産前)

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結婚したのは2016年2月。

理由はぶっちゃけるとできちゃった婚でした。


ただ僕は奥さんを愛していましたし、突然で戸惑ったけれど父になるのは嫌なわけではなかったです。

むしろ子供を産まないという選択をとった時、きっと奥さんに会えなくなるのが嫌でした。


また奥さんは子宮内膜症を患っており、子供ができにくい身体だと聞いていたので、そんな彼女の体に生命が宿ったのはとても喜ばしいことだと思いました。

(これ、いま思えば本当に病気だったんか?みたいな邪推をしてしまうんですが。)

 


ただ、結婚前にどうしても話し合わないといけないことがありました。

当然ながら経済的側面の話です。

 


奥さんの年齢は僕の一個上でしたが、貯金は一切なし。実家近くに妹と暮らしていましたが、まあ遊び人だったので全くお金がない状態でした。

(まあ僕も遊び人だったから知り合ったんですけど、30手前で貯金なしは実際どうかと思ってる。)


一方僕も当時、月収は残業して27万円くらい(手取)で、貯金はギリ3桁ある、みたいな状況。


2人で慌ててインターネットで情報を集めれば、子供が成人するまでに最低1500万円はかかるという事実が浮かび上がる。

 

奥さんは高校生位の時に親が離婚してシングルマザー世帯。しかしお義母さん側の実家が裕福だったり、離婚したお義父さんがだいぶ経済支援をしていたり、公営住宅に住んでいたり、支援金受け取っていたりと、正直にいえば世のシングルマザー世帯に比較するとだいぶイージーモードでやってる家庭でした。

対して僕が育った家庭は両親共働き。

お互いの金銭感覚にはだいぶ乖離があったと思います。

 

「とにかく愛だけではやっていけない。

いまは共働きの時代なのだから、お互いしっかり働いて子供を養っていこう」

 

ひとまず、そう言ってお互いに課した収入目標は、僕:25万、嫁:15万という囁かなものでした。

40万収入があれば、生活費以外で貯金もできるし、自分のために多少はお金が使えるねとお互い意思確認をしたのです。

(生活費の配分は僕10万、嫁5万だった記憶が)

 

とはいえ、出産を控えておりますし、当面は育産休の手当を食費に使い、それ以外の費用(出産費用や新居の家具代なども含む)と、奥さんが私用や遊びでお金が必要になった場合は僕が用立てる等、当初の収支バランスは決まりました。

育児手当の受給はありましたが、最初の1年は全て子供のために貯金をする、ということにしました。

 

それでも出産前の半年は奥さんも働いていたので、それまでの収入と育児休暇費用があれば、保育園入園までは僕の貯金を切り崩せばいけるだろうという認識でしたし、友人達にも支えられながら、長期休みには小旅行を楽しむ余裕もありました。

(次回書くのですが、子供も最高に可愛い)

 

義両親にも受け入れられ、順風満帆とはいえなくても幸せな結婚生活が始まっていったのです。

 

 

いま思ってもこの頃の生活はすごく楽しかったなぁと思ってます。

 

 

 

やや不穏な感じを残しつつ中盤に続く。

離婚の話①本題と程遠い前置き

これから本格的に語るにおいての前置き的なもの。

 

 

僕が妻に【離婚】を切り出したのは昨年末のことです。

しかし既に1年ほど前には、脳裏に薄らとその2文字が浮かんでいたように思います。

そしてそれは、昨年の夏頃から急速に実体を持ち始めていくのです。

 

本格的に別居を開始したのが今年の一月。

僕は精神面の不調で3月末まで一時的に実家に厄介になり、そして4月から1人での生活をスタートしました。

妻と子供はその頃から音信不通になり、いまは妻側の実家で暮らしているらしいことだけわかっています。

 

そう。ぶっちゃけてしまうと、まだ全然片付いてないです。(進捗で言うと離婚成立まで50%というところでしょうか。)

 

そして当然僕自身もいろいろ割り切れているわけではないのが正直なところです。

 

とはいえ、1人での生活に戻ってから早1ヶ月半になりますし、気付けば子供と会えないまま2ヶ月程が過ぎようとしているところ。

今一度自分を奮い立たせる機会として、

心の整理も含めてまとめていこうかなという感じです。

 

一気に書き切ろうとも思ったんですが、パート10くらいに分けてのんびり書こうと思います。

いや無理やりこの場で全て書いたら、なにやら奥さんに対するあらゆる負の感情を込めた禍々しい呪いの文書が出来上がってしまいそうなので、私自身が冷静になるために小出しにさせてください。

(それはそれで数年後に見返すのが楽しみだなとも思うのですが)

 

 

そして、僕は離婚経験者というにはあまりにも未熟です。まだ完遂もしておりません。

よって、このコラムは離婚を賛美したりですとか、how toをレクチャーしたり、といったような内容のものではなく、ただただ事実と心情を書き連ねる記録だと思ってください。

 

そして前置きの最後に。

 

この件に対する私の立場を明確にする意味を込めて、現在の心境から思うことを4つお伝えして、今回は終わりたいと思います。

 

 

1つ。

僕は奥さんと別れるという一点については微塵も後悔をしておりません。

別居をしてから、純粋な意味で奥さんに会いたいと思ったことはありません。奥さんがいなくて困った事もありません。そして、離婚をせずにまた奥さんと共に暮らして行きたいと思ったこともありません。

 

これは間違いなく本心。その一点だけでも、この離婚には意味はあると自信を持って断言できます。

 

2つ。

当たり前ですが、離婚の原因について、全てを奥さんのせいだとは思っておりません。

 

「もっとこうしていれば、あるいは僕がもっとこういう人間だったら、他の道があったかもしれない」

 

離婚の決意をしてから半年が経った今でも、

そんなふうに考えることがあります。

僕自身が人間的に未熟であったことを日々認識しながら生きている状況です。

 

3つ。これかなり言いたい。

いままさに当事者ですが、これだけは言えます。

離婚はお勧めしません。

 

話し合いが出来るのであれば、お世話になった方々がいるのであれば、そして子供を愛しているのであれば、出来るだけ他の道を探してみてください。

 

切り出す前に、一呼吸置いて考えてください。

走り出したらもう止まれないのです。

 

なので、このブログを見て離婚を踏みとどまる方がいるのであれば、それはそれでとてもいい事だと思うのです。

 

 

4つ。

そして、この経験は僕の人生において、変えられるもののない、ある面では大切な経験だと受け止めています。

生き方心情哲学、将来の展望、夢、家族のあり方、子供への愛情、等々…

現時点でも既に多くのことについて考えさせられ、多くのものに気付き、また多くのことを改めて確認することが出来ました。

今まで自分の人生について、こんなに深く考えたことがありません。

大きな痛みを伴いますが、人間としてのあり方を見つめ直すことができる大切な機会に恵まれたと思っています。

いやもうこの数ヶ月の濃度が本当に濃くて濃くて…。

 

生涯夫婦を貫いた方々と立場は違いますが、この離婚という挫折の最後に、乗り越えた人にしか分からない尊い何かがきっとあるのだろうという予感があります。

なので、僕も逃げずに最後まで戦おうと思うのです。

 

 

 

今回はここまで。それではまた次回。

西師千尋との出会い

西師千尋 公式インスタグラム

https://www.instagram.com/nishijichihiro

 

西師千尋は架空のタレントです。

愛称は募集中で、個人的にはにっしーか、ちーやんがいいと思ってる。

(なにいってんだ?って思ったあなた。奇遇ですね僕もさっぱり何を言ってるんだって感じです)

 

そもそもの始まりは、独立志望の友人とお酒を飲んだ時の話でした。

(詳細は酔っ払ってたもんであんまり覚えてないけど)YouTuberに今からなれるか?みたいな話をした時だったと思います。

 

「先駆者で溢れてるから余程革新的な発想で撮影した動画じゃないと無理でしょ、僕には0→1の発想力はないから、自分で撮るより誰かが撮った動画を広報する仕事をした方が性にあってると思う。」

 

そんな結論を出した時に、頭にひとつの仮定が生まれました。

 

自分ではなく誰かが撮った動画を広報する、のくだりです。まさに人のふんどしで相撲を取るを地で行く発想が、僕に神の啓示にも似た(幻覚)閃きをもたらしたのです。(多分)

 

【自分がスターになれなくても、誰かをスターにすることは出来るのではないだろうか】

 

元々、人材育成やコーチング、コンサルタントに近い仕事を行ってきたこともあり、なんかそっちの方が自分に向いてるんじゃないかと考えたわけです。

(というか完全に消去法です)

 

ところがどっこい、そんなスターの卵はおろか、貯金なし実績なし甲斐性なしの貧乏リーマンの口車に乗ってくれる奇特な御人もいらっしゃいません。

そしてそんな人を集める資本金も人脈もありゃしない。

 

そこで現れたのが敬愛する西師千尋くんです。

コンセプトは、架空の人物を本気でブランディングしてプロデュースしてみたらどうなる?という思いつき。

 

「もう勝手に人間作っちゃえばいいんじゃね?」という投げやりな発想と、Vtuberのキャラデザめんどいから生身で自作自演するわというモノグサ大雑把が生み出したの架空のキャラクターが西師千尋という存在です。

 

僕の企画のメインキャスト兼代弁者として、彼がどんな動きをしていくのか正直さっぱりわかりませんが、ひとまずはプロデュースの練習と思って彼を応援していきたいと思います。

 

みんなも応援してね。

うん。ここまで書いてもさっぱりわからんところが不安材料でしかないんだわ??

ブログ開設の経緯とか

 

令和に元号が変わり、僕を育ててくれた平成が終わった。

平成最期の10年間をぴったり20代として過ごした、いわゆる「ゆとり世代」の僕が、30代を目前にして、心に浮かべたのは「やっっべええええ!!!」という感情につきる。

 

20代の僕はかなり良い子だった。

かなり良い子でいることを選んできたと言ってもいい。

 

二十代前半で大手企業に就職し、本社転属。

二十代中盤で結婚、子供の誕生、転職と、人生の転機がトントントンとやってきた。

 

人から見れば順風満帆に見えてたと思うし、実際僕もそう思っていた。

自立した人間としての社会的責任、経済主体として見た時の生産・支出の責任、さまざまな要因が僕の生活を変えていき、僕もまたその環境に適応をすることを余儀なくされた。

それでも「社会的に認められたしっかりした人間」を演じることは、僕の自尊心を満たしてくれていたし、家族を含めた「誰かのため」に生きることは、生きる目的となってくれた。

 

ところが僕には三つの誤算があった。

一つ目はしっかりしすぎたことである。

身の丈以上に。 要は無理をしていた。

 

しっかりした人間の最大の災難は、しっかりしてない人間が寄ってくることである。

職場だろうが家庭だろうが往来だろうが、しっかりしてる人間の周りには自立をしていないだらしない奴らが集まってくる。

彼らは自分が「しっかりしてるつもりになる」ためだけに僕に取り入り、僕を利用しようとするようだ。

そして二つ目の誤算は、そうした人達は癌細胞のように僕を骨の髄までしゃぶりつくし、最後には牙を剥いてくることに、僕は心身を故障するまで気付けなかったことである。

 

良い子ぶりっ子のツケは約3年ほどでやってきた。

仮称癌細胞は、人知れず僕の身体に潜伏し爆発の時を待っていたのである。

 

詳細はどこか別の機会に温存しておくが、

ともかくして、20代の僕は少なくともそういう人達に、搾取され、消費をされてきた。

 

友人は減り収入は減り貯金はなくなり出世ルートは逃し心身の健康は損なわれ借金が残り、そうして最後は最愛の子供まで失う結果となりはてた。

 

平成最期の一ヶ月が始まろうとするとき、

なにもなくなった2DKの片隅で、手持ちのカードを机に並べた時、心に去来したのは「恐怖」だった。

 

結果の「やっっべええええ!!!」である。

 

自分の人生を生きる為に積み上げるべき物事を全て誰かの為に積み上げてしまった。

そして、その誰かがいなくなった時、自分に残されたのは一人で生きるには長過ぎる余命と、三十路にさしかかる身体だけになっちゃってたのであった。

 

何のために生きるのか、何かを為して死ぬのか、何も為さずに死ぬのか。それが死ぬ時にしかわからないことが、たまらなく恐ろしい。自分の価値が全て失われてしまったのではないかという恐怖感と、この先の人生に待っている虚無感と絶望感、そして孤独感と喪失感が僕に襲いかかった。

無気力なまま、数週間がたった。

ぶっちゃけもう死のうとも思った。

 

ところがどっこいである。

ここで三つ目の誤算だ。

 

良い子過ぎて死ねなかったのである。

 

とーちゃんかーちゃんありがとうって感じだ。

(おめーらの育て方のせいじゃみたいな気持ちもなくはない。)

 

 

そして同時に、メラメラと沸き立つなにかを感じる。

負けてたまるかという鬱屈しまくりのひねくれ反骨精神である。

残りの人生を使って使って使い潰して、自分になにが為せるのか、確かめたくなってしまったのである。

 

このブログでは、そんな裸一貫の何もないサラリーマンの逆転の軌跡を綴っていきたい。

 

悪戦苦闘で試行錯誤の日々と、ついでにここまでの負の遺産の禊を、自虐交じりに赤裸々に笑いに変える、そんなブログを目指すことを誓って、はじめましての挨拶とする。

 

 

 

 

とか言って、ここまで書くのに2時間くらいかかって早くも心折れそうなんです。

ひとまず離婚話とか色んな企画とかの話を週1くらいで語っていこうかなーって思ってます。

まあそんな感じで、色々。

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